企業や店舗を運営する経営者、管理職の皆様にとって、顧客からの悪質なクレームや過剰な要求、いわゆるカスタマーハラスメント(カスハラ)は、もはや無視できない経営リスクとなっています。従業員のメンタルヘルスを脅かし、離職率上昇や生産性低下を招くこの問題に、ついに法的な対応が求められる時代が到来します。
2025年6月に労働施策総合推進法の改正法が成立し、2026年中にカスハラ対策が全事業主の義務となる見込みです。これまでの「努力義務」から「法的義務」への転換は、業種・規模を問わず、すべての企業に影響を与える重大な変化です。
本記事では、株式会社ARKSが、法改正の具体的なスケジュールから企業が準備すべき対策まで、実務に即した情報を解説します。施行までの限られた期間で、貴社はどのような体制を整備すべきか、チェックリストとともに確認していきましょう。
カスハラ対策義務化の背景と社会的意義
カスハラがもたらす深刻な影響
カスタマーハラスメントとは、顧客や取引先からの著しい迷惑行為によって、従業員の就業環境が害される状況を指します。厚生労働省「令和5年度 職場のハラスメントに関する実態調査」では、過去3年に「顧客等からの著しい迷惑行為」の相談があった企業は27.9%、相談のあった企業のうち該当事例があると判断した割合は86.8%でした。業種・規模により状況は異なりますが、一定の広がりが確認されています。
具体的には、以下のような行為がカスハラに該当します。
- 暴行・脅迫:従業員に対する物理的な暴力や、危害を加えるという脅し
- 土下座の強要:謝罪の手段として過度な行為を要求する
- 長時間の叱責:必要以上に長時間にわたって執拗に責め立てる
- 業務外の私的要求:本来の業務範囲を超えた個人的な用事を押し付ける
- SNSでの誹謗中傷:インターネット上で従業員個人を攻撃する
こうした行為は従業員のメンタルヘルスに深刻な影響を及ぼし、うつ病や適応障害の発症、最悪の場合は離職につながります。
企業側が被る損失も見過ごせません。
- 離職による採用・教育コストの増加
- 現場の士気低下による生産性の減少
- 企業イメージの毀損と社会的信用の失墜
- 優秀な人材の確保が困難になる
これらは長期的な経営に大きな打撃となり、企業の持続的成長を阻害する要因となっています。
なぜ今、法的義務化なのか
これまでカスハラ対策は企業の自主的な取り組みに委ねられていました。厚生労働省が策定した「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」も、あくまで参考資料という位置づけでした。
しかし、現状には以下のような課題がありました。
- ガイドラインの認知度が低い:対策マニュアルの存在を知らない企業が多数
- 対策の格差が大きい:企業規模や業種により対応レベルに大きな差がある
- 従業員保護が不十分:個人任せになっており組織的な対応ができていない
- 企業の責任が不明確:どこまで対応すべきか判断基準がなかった
パワーハラスメント、セクシュアルハラスメント、マタニティハラスメントが既に法的義務化されている中、カスハラだけが取り残されていた状況は、現場で働く従業員を守る観点から早急な是正が求められていたのです。
法改正により実現すること:
- 従業員の保護強化:法的な後ろ盾により、企業が堂々と従業員を守れる
- 事業者責任の明確化:何をすべきかが明確になり、対策の方向性が定まる
- 社会的な意識改革:カスハラは許されないという社会全体のメッセージ
- 健全な取引関係の構築:顧客と従業員の対等な関係を実現
✓法改正の根本的な目的は、従業員が安心して働ける環境の整備と、企業が毅然とした対応を取るための後押しにあります。これは単なる規制強化ではなく、健全な取引関係を構築するための社会全体の意識改革とも言えるでしょう。
2026年施行に向けた法改正の全体像
改正労働施策総合推進法の成立経緯
2025年6月4日、カスハラ対策を事業主の義務とする労働施策総合推進法の改正法が参議院本会議で可決・成立しました。同月11日には公布され、公布日から起算して1年6か月以内に施行されることが決定しています。
この改正による主な変更点:
- カスハラ対策の義務化:パワハラやセクハラと同様に「雇用管理上の措置義務」として位置づけ
- 対象事業主の範囲:労働者が1人でもいる全ての事業主が対象(業種・規模を問わず)
- 相談者保護:相談を行った労働者への不利益取扱いは禁止(法第33条関係)
- 実効性の確保:国会審議で「実効性を確保するための措置」が追加
- フリーランス保護:付則で特定受託事業者(フリーランス)に関する施策の検討を求める修正が盛り込まれた
従来の「努力義務」から「法的義務」への転換により、企業の対応が必須となります。特に接客業、サービス業、医療・福祉業界など、顧客と直接接する機会が多い業種では、早急な対策が求められます。
国会審議の過程では、企業に求める対策として「実効性を確保するための措置」が盛り込まれました。また、カスハラの相談をしたことで解雇や降格などの不利益な扱いを受けないよう、相談者保護の規定も明確化されています。これにより、従業員は安心して相談できる環境が法的に担保されることになります。
出典: ハラスメント対策・女性活躍推進に関する改正ポイントのご案内|厚生労働省
具体的な施行時期と今後のスケジュール
改正法は2025年6月11日に公布され、「公布から1年6か月以内の政令で定める日」に施行されます。現時点で正式な施行日は未確定ですが、2026年中の施行が見込まれています(指針・省令は順次公表予定)。なお、本改正の一部規定は2026年4月1日施行予定(厚生労働省公表)です。その他の規定は公布から1年6か月以内の政令で定める日に施行されます。企業としては2026年夏頃までに対策を完了させておくことが現実的な目標となります。
今後のスケジュール(見込み):
- 2025年後半〜2026年前半:厚生労働省による指針の策定・公表
- 2026年夏頃:企業の対策完了の目標時期
- 2026年中:改正法の施行(政令で確定)
- 施行後:企業への行政指導開始
また、厚生労働大臣は今後、事業主が講ずべき措置の具体的な内容を示す「指針」を策定・公表する予定です。この指針では、以下の内容が明示されることになります。
指針で示される予定の内容:
- カスハラの具体的な定義:どのような行為がカスハラに該当するか
- 対象となる行為の類型:暴言、脅迫、土下座強要など具体例
- 企業が実施すべき対策:最低限必要な措置の詳細
- 相談窓口の運営方法:効果的な相談体制の構築方法
- 記録・報告の方法:どのように事案を記録・管理するか
最新情報は厚生労働省の公式ウェブサイト(https://www.mhlw.go.jp/)で随時更新されますので、定期的な確認が重要です。指針の公表後は、自社の対策がそれに沿ったものになっているか、見直しが必要になる可能性もあります。
出典: 令和7年労働施策総合推進法等の一部改正について(トップページ)|厚生労働省
企業への罰則と行政指導
今回の法改正では、パワハラやセクハラと同様に企業への直接的な罰則規定は設けられていません。しかし、義務を履行しない事業主に対しては、厚生労働大臣による報告徴収、助言、指導、勧告等の行政的手当が一般的な枠組みとして想定されます。
なお、企業名公表の運用については、現時点で本改正のカスハラ義務に直接付けで制度化されたものは未確認です。関連法領域(男女雇用機会均等法など)の運用実績はあるため、政省令・指針での最終運用を要確認となります。
ハラスメント防止措置に関する行政指導の流れ:
- 報告徴収:厚生労働大臣が企業に対して報告を求める
- 助言:改善に向けた具体的な助言を行う
- 指導:より強い指導を実施する
- 勧告:正式な勧告を行う
また、労働契約法第5条に定められた「安全配慮義務」の観点からも注意が必要です。従業員がカスハラ被害を受けたにもかかわらず、企業が適切な対策を講じていなかった場合、従業員から債務不履行責任や損害賠償請求を受けるリスクが存在します。
企業が負う可能性のある法的責任:
- 安全配慮義務違反:従業員への債務不履行責任
- 不法行為責任:適切な対策を怠ったことによる損害賠償
- 使用者責任:自社従業員が他社従業員にカスハラをした場合
法的義務違反による行政指導と、民事上の損害賠償リスクの両面から、対策の必要性は極めて高いと言えます。
✓行政指導や損害賠償請求は、金銭的な損失だけでなく、企業の社会的信用や採用活動にも大きな影響を与えます。施行前に十分な準備を整えることで、こうしたリスクを未然に防ぐことが重要です。
企業に求められる具体的な対策内容

基本方針の策定と社内周知
カスハラ対策の第一歩は、企業としての基本方針を明確化することです。「当社はカスタマーハラスメントを許容しない」という明確なメッセージを、経営トップから発信する必要があります。
基本方針に盛り込むべき内容:
- カスハラの定義:自社における「カスハラ」とは何かを明確に定義
- 対象となる行為:具体的にどのような行為を許容しないのか例示
- 企業の姿勢:従業員を守るという企業の明確な意思表明
- 対応方針:カスハラ発生時に企業がどう対応するかの基本的な方向性
- 責任の所在:カスハラ対策を推進する部署や責任者の明示
この方針は就業規則に明記するとともに、社内イントラネット、従業員向け研修資料、店舗内の掲示物などを通じて、全従業員に周知徹底することが求められます。さらに、対外的にも企業ウェブサイトや店舗の入口などに掲示することで、顧客や取引先に対しても明確な姿勢を示すことが効果的です。
相談窓口の設置と担当者配置
従業員がカスハラ被害を受けた際、安心して相談できる窓口の整備が不可欠です。相談しやすい環境を作るため、複数の選択肢を用意することが望ましいでしょう。
設置すべき相談窓口の形態:
- 社内相談窓口:人事部や総務部など、従業員が直接相談できる部署
- 外部相談機関:社労士事務所や専門カウンセラーなど、第三者への相談ルート
- ホットライン:匿名での相談も可能な電話やメールでの窓口
- 上司への報告ルート:直属の上司や管理職への報告体制
窓口担当者には、カスハラに関する十分な知識と、相談者に寄り添った対応ができる人材を配置します。相談内容は適切に記録し、プライバシー保護を徹底しながら、必要に応じて経営層や関係部署と連携する体制を構築します。また、相談したことで不利益な扱いを受けないよう、相談者保護の仕組みも明確にしておくことが重要です。
対応マニュアルの整備と従業員教育
カスハラが発生した際に現場が迷わず対応できるよう、具体的な対応マニュアルを作成します。マニュアルは実践的で分かりやすい内容にすることが重要です。
マニュアルに記載すべき項目:
- 初期対応の手順:カスハラに遭遇した際の最初の対応方法
- 報告フロー:誰に、どのタイミングで報告するか
- 記録すべき内容:日時、場所、相手の特徴、具体的な言動など
- エスカレーション基準:どの段階で上司や警察に相談するか
- 自己防衛の方法:従業員の安全を最優先する対応策
- NG対応:やってはいけない対応の明示
このマニュアルに基づいた従業員研修を定期的に実施することが重要です。特に、接客業や営業職など顧客と直接接する機会が多い部署には、ロールプレイング形式の実践的な研修が効果的でしょう。座学だけでなく、実際のシミュレーションを通じて対応力を養うことで、いざという時に冷静な判断ができるようになります。
発生時の対応フローと記録保管
カスハラ事案が発生した際は、事実関係の正確な把握と記録保管が最優先です。客観的な記録は、その後の対応や法的措置を検討する際の重要な証拠となります。
記録すべき事項:
- 発生日時と場所:いつ、どこで発生したか
- 関係者:被害者、加害者、目撃者の情報
- 具体的な言動:発せられた言葉、行動の詳細
- 被害の状況:従業員が受けた精神的・身体的影響
- 対応の経緯:どのような対応を取ったか
被害を受けた従業員に対しては、メンタルヘルスケアを含む適切なサポートを提供します。産業医やカウンセラーとの面談機会を設けるなど、心身のケアを最優先に考えることが大切です。
一方、カスハラ行為を行った顧客等に対しては、企業として毅然とした対応を取ることも必要です。
対応の選択肢:
- 警告:書面または口頭での警告
- 取引制限:サービス提供の一時停止や制限
- 取引停止:今後の取引を全面的に停止
- 法的措置:警察への被害届提出、弁護士を通じた損害賠償請求
組織として従業員を守る姿勢を明確に示すことで、他の従業員の安心感にもつながります。
テクノロジーを活用した証拠確保
カスハラ対策において、客観的な証拠の確保は極めて重要です。「言った・言わない」の水掛け論を避け、事実に基づいた適切な対応を可能にします。
効果的な証拠確保の方法:
- ウェアラブルカメラ:株式会社ARKSが提供するネームプレート型カメラ「TAG-RECO(タグレコ)」のように、従業員が装着できる小型カメラ。クレームやハラスメントの状況を自動的に記録
- 通話録音システム:コールセンターや電話対応の際の会話を録音。後から内容を確認できる
- 防犯カメラ:店舗や事務所に設置し、広範囲の状況を記録
- 業務日報:日々の出来事を文字で記録し、時系列で状況を把握
これらのテクノロジーは、事実関係の証明だけでなく、抑止効果も期待できます。「録画・録音しています」という掲示だけでも、カスハラ行為を未然に防ぐ効果が認められています。
✓テクノロジーの活用は、従業員保護と同時に、正当なクレームと悪質なカスハラを区別する客観的な判断材料を提供します。通話録音そのものに「相手へ録音中と伝える法的義務」はありませんが、個人情報に該当する場合は利用目的の通知・公表が必要です。カメラの運用は事前告知や掲示の活用が望ましいとされ、目的・範囲・取扱いを明確化することが推奨されます。
企業対応チェックリスト:準備状況の自己診断
貴社のカスハラ対策準備状況を以下のチェックリストで確認してみましょう。
| 項目 | 確認内容 | 状況 |
|---|---|---|
| 基本方針 | カスハラ対策の基本方針を文書化していますか? | □ |
| 周知 | 基本方針を全従業員に周知していますか? | □ |
| 就業規則 | 就業規則にカスハラ対策を明記していますか? | □ |
| 相談窓口 | 従業員が相談しやすい窓口を設置していますか? | □ |
| 担当者 | 相談窓口の担当者は適切な教育を受けていますか? | □ |
| マニュアル | カスハラ対応マニュアルを作成していますか? | □ |
| 研修 | マニュアルに基づく従業員研修を実施していますか? | □ |
| 対応フロー | 事案発生時の責任者とフローは明確ですか? | □ |
| 記録体制 | 被害報告の記録方法は整備されていますか? | □ |
| 証拠確保 | 録画・録音など証拠確保の仕組みがありますか? | □ |
| 関係機関 | 警察や弁護士との連携体制はできていますか? | □ |
| 再発防止 | 発生後の再発防止策を検討する体制がありますか? | □ |
チェックが入らない項目がある場合は、今すぐ対策の検討を始めましょう。特に基本方針の策定、相談窓口の設置、対応マニュアルの整備は、優先的に取り組むべき項目です。
✓このチェックリストは最低限の項目です。業種や企業規模に応じて、さらに詳細な対策が必要になる場合もあります。社労士や弁護士などの専門家に相談しながら、自社に最適な対策を構築することをお勧めします。
施行に向けた準備のポイントとまとめ
2026年中のカスハラ対策義務化まで、残された時間は限られています。しかし、この法改正を単なる「コスト」として捉えるのではなく、従業員が安心して働ける職場環境を整備し、企業価値を高める「投資」として前向きに捉えることが重要です。
カスハラ対策による企業メリット:
- 従業員の定着率向上:安心して働ける環境により離職率が低下
- 生産性の向上:心理的安全性が高まり、業務に集中できる
- 優秀な人材の確保:従業員を大切にする企業として評価される
- 企業ブランド向上:社会的責任を果たす企業として信頼を獲得
- 顧客との健全な関係:理不尽な要求を排除し、正当な取引を実現
株式会社ARKSは、TAG-RECO(タグレコ)などのハラスメント対策ソリューションを通じて、企業の従業員保護をサポートしています。カスハラ・パワハラ・セクハラなど、あらゆるハラスメントから従業員を守り、健全な職場環境の構築を実現するため、テクノロジーの力を最大限に活用した対策をご提案します。
今後の準備ステップ:
- 現状分析:チェックリストで自社の対策状況を確認
- 優先順位付け:不足している対策に優先順位をつける
- 体制構築:基本方針、相談窓口、マニュアルを整備
- 教育実施:全従業員への研修を計画・実施
- ツール導入:証拠確保のためのテクノロジー導入を検討
- 専門家相談:社労士や弁護士に相談し、法的な確認を行う
施行までに準備を完了させることで、法令遵守はもちろん、従業員と企業の双方にとって望ましい未来を築くことができます。今こそ、カスハラ対策に本腰を入れる時です。専門家への相談や、最新のテクノロジーソリューションの導入も視野に入れながら、2026年の義務化に向けて万全の準備を進めていきましょう。
